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政治より先に学びたい0→1に日本人を底上げする方程式

政治ど素人+ゆる保守+plactical patriotism

リアリティの解体新書

今回のテーマはリアリティについてであり

別の言葉を使うなら、現場主義的な視点を持つことにつきます。

しかしリベラルのような物の視方では

理想や正しさに振り回され、

抑圧、反省、自虐のくだらなくも生きにくい世界になってしまう。

日本の価値感が変わった時代の人はどう見ていたか。


この時代はいつのことかというと江戸時代後期である。

経世論から見ていくと

中期までの儒教ベースの理想論から現実論に徐々に移行していくことが見られる。

この学問は簡単にいうと政治と経済についてのものである。

本多利明の主張は

貿易を積極的にしていく事、これは戦争と同じであるという。

海外に植民地を築く事、海上を制する事、

長期的に見て人口を増加させ役立つ人材を作る事、

人は国家から独立して生きることはできないという事、

藩や幕府というスケールを超えた国家視点が見られます。

海保青陵の主張では

他国の金を吸い取る方法、

利益や利息を肯定的に見ている事や

学問は詳しいだけでは役に立たぬといった

儒教を離れた現実主義が見られます

佐藤信淵の主張には

貿易で自国に利益をもたらすこと

貧乏人にも教育を受けさせることや

製造業の開拓や研磨する事、

個人の力は小さいが国家の皆の心をひとつにすれば富を蓄積できる

と言います。

大蔵永常は

国産品を大切にし輸入依存を防ぐ事

横井小南は

政府側が研究し民間に技術や資金を与える事、

富国強兵をして外国に侮られないようにする事

などこの当時の経世論は

理屈より人の心の機微に着目している事、

儒教的な考えから外にでている事、

国民の金儲けに肯定的である事、

藩や幕府という枠を超えて国家視点で見ている

という特徴があります。

しかしこうした経済や商売についての考えは

中期の石門心学や報徳思想にも見ることができ延長上にあると言えます。

残念なことに現在の大企業のトップに立つ人間は

リベラル目線で石田梅岩の思想を

道徳的な教えだけを取り上げてしまうのです。

実際は商人の倫理だけではなく

社会に対する商売の役目と正当性も語っているのです。

有名な経済人が彼らの名を取り上げ

儲け主義を否定し、左的な価値観で

反省や自虐的な事を口にするとうんざりします



理想より実益を重んじるこうした流れは

当然実学という言葉でも表現され

明治維新の原動力である江戸後期の水戸学にも見られます。

江戸幕府が理念的な朱子学を権威とし

他の学問を弾圧しましたが

水戸学は実践的な陽明学に近いものでした。

明治政府は後に儒教的な教育を追放する考えもありました。

伊藤や福沢はそちら側の人物です。

彼らは儒教を現実離れの空論、やってはいけないことばかり教える後ろ向きの教育

と考えていたわけです。

国学においても儒教は批判されています。

その後結局は儒教的な教育勅語が発布されます。


江戸時代後期のこういった人間は

ロシアやアメリカの存在を強く肌で感じ危機感をもっていました。

後期経世学の著者は当事者意識が強かったのがわかります。

蘭学を学んでいた人間も同様であり

国難を訴えたものの蛮社の獄で濡れ衣で罰されます。


リアリズムを重視するという動きはこの時代に他でも見られました。

江戸幕府後期の歌舞伎では生世話物というジャンルが作られます。

これはより写実的に演出するというものです。

鶴屋南北が有名でしょうか。

和算では精要算法を著した藤田定資が

難しいだけで実用的でない算術を批判しています。


歴史の流れを振り返ると現代は大正後期か江戸後期に似ている

という印象を受けます。

こうした時期に日本人はこうあるべきという美学、

国際間の力関係や世論で変わる法律や

時代によりコロコロ変わるモラル

感情的なきれいごと

といった小さなカゴに惑わされず

リアリティを見て結果主義で判断する

良い意味で利己的になることが競争の中で求められる事ではないでしょうか。




現実的に物事を考えるということ、

正しいか間違いかの狭い視野に囚われず

効果があるかどうかという視点に切り替えることはパラダイムシフトであると言える。

学者や評論家になってしまうと何も現実の問題に対処できない事になる。

それが慰安婦問題に口だけで何も対処できない戦後の日本である。

なぜ現実という言葉ではなくリアリティという言葉にしているかというと

大人になりなさいとか現実を見なさい

という何の益にもならない言を吐く輩がいるからである。

これは上の立場にいるものの都合のいい方便、欺瞞である。

どの分野の歴史を見ても世の中の枠を超えて表現した人間が世界的に影響を与えている。

スポーツだろうが芸術だろうが政治であろうが同じ事。

常識で考えていたら新しい発想も出てこないし

商売も大衆の先を見て新しい価値を作り与えることが不可能になる。

人が欲しがる以上のものを作らなければその社会は終わりである。

日本を挑戦しがいのある場、目標をもてる場にしていくために

現実という言葉は非常に害になる。

国家の産業を発展するよりも国民を抑圧するような現実という言葉

との混合を避けるためにリアリティという言葉を使用しているということです。
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